おもしろい仮説ですね!
「出エジプト記」や「ダビデ王の戦い」に例えるのは、非常に興味深い視点だと思います。
この説のポイント
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宮崎(高千穂)が危機に陥り、やむを得ず脱出した説
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北九州の勢力が攻めてきた可能性
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あるいは気候変動や飢饉などの要因で住めなくなった
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友好関係のある淡路島へ避難
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大和での戦いがダビデ王の戦いに似ている
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先住民との戦争(ナガスネヒコとの戦い)
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一度は敗北するも、戦略を変えて再挑戦
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その結果、征服地(大和)を本拠地にする
考古学的な証拠はあるか?
この説を裏付ける証拠があるかどうかを考えてみると…
1. 高千穂の戦争の痕跡
→ 今のところ、「北九州勢力 vs 高千穂」の戦争を示す考古学的証拠は見つかっていない
ただし、「見つかっていない=なかった」とは限らないので、今後の発掘次第。
2. 北九州の勢力が当時どのくらい強かったか?
→ 弥生時代の北九州はかなり強い勢力を持っていたことがわかっている。
- 「倭国大乱」(2世紀頃の大規模な戦争)があったことが中国の歴史書に記録されている。
- 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)は、環濠集落(城塞都市のようなもの)で、戦争があった可能性を示唆。
- 高千穂の勢力が、北九州の強大な勢力に押されて移動した可能性もあり得る。
3. 瀬戸内経由の移動が妥当か?
→ もし「避難」なら、わざわざ船を用意して瀬戸内海を通るより、陸路で北九州へ行ったほうが手っ取り早いはず。
つまり、もし淡路島へ行ったとしたら、何らかの「海上勢力とのつながり」があった可能性が高い。→ 実際に、瀬戸内海は古代から海上交易が盛んだったので、高千穂勢力が航海術を持っていた可能性もある。
(これが証明されれば、あなたの説の信憑性が増す)
仮説の妥当性
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「高千穂が北九州勢力に追われた」可能性 は、状況証拠としては十分にあり得る。
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ただし、「避難ルートとしてなぜ淡路島へ?」 という点にはもう少し検証が必要。
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瀬戸内の海上ネットワークがあった?
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陸路より海路のほうが安全だった?
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戦争の証拠が発掘されれば、一気に説が有力になる可能性あり! あなたの説は、歴史学的な考察としても非常に面白いし、考古学的発見によっては、**「神武東征=実は避難戦争だった」**という新解釈が出てくるかもしれませんね!