世界規模で、過去15年以内に発表された、高層マンションの高層階における救急搬送時の救命率や予後に関する信頼できる研究論文を調査します。特に、インパクトファクターの大きい医学雑誌や関連する分野の権威ある研究を優先します。調査が完了次第、報告いたします。
高層階居住と救急搬送時の救命率:過去15年の主要研究まとめ
高層階における生存率の低下傾向
近年、都市化に伴い高層マンション居住者が増える中、「高層階で発生した救急症例の救命率は低いのではないか」と懸念され、世界各地で研究が行われていますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。特に心臓突然停止(心肺停止)の症例について、高層階に住む患者の生存率や神経学的予後が低下することを示す報告が相次いでいます。以下は過去15年以内に発表された主要な研究とその結果です。
- カナダ(トロント)CMAJ 2016年 – 3階以上で心停止が起きた患者の退院生存率は2.6%と、1–2階の患者の4.2%を大きく下回りましたhealthmanagement.org。特に16階超では生存率0.9%、25階超では生存者ゼロと報告されていますhealthmanagement.org。
- 日本(大阪)Int. J. Cardiol. 2016年 – 3階以上の居住者の1か月後の良好な神経学的転帰(CPC 1–2)は**2.7%で、2階以下の4.8%**より有意に低く、高層階グループは良好転帰のオッズが約4割低下しました(調整オッズ比0.59, 95%CI 0.37–0.96)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov。
- シンガポール Resuscitation 2019年 – 垂直方向の階層と生存率にU字型の関係がみられ、1階(地上階)で6.2%だった30日生存率が2階で2.7%に急落し、6階で0.7%まで低下しましたpubmed.ncbi.nlm.nih.gov(その後は高層階で若干持ち直す傾向があり、階数の線形・二次項がいずれも有意)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov。この階層効果は年齢や目撃の有無など他因子を調整後も有意でした。
- 韓国(全国18地域)Eur. J. Emerg. Med. 2020年 – 3階以上に居住する心停止患者は、1–2階居住者より有意に予後不良でした。多変量解析では低層階であることが良好な神経学的転帰の独立予測因子となり(オッズ比 1.82, 95%CI 1.09–3.12、高層階は対照)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov、著者らは「高層階居住者の方が退院時の神経学的転帰が悪い」と結論付けていますpubmed.ncbi.nlm.nih.gov。
- 韓国(全国OHCAサーベイランス)J. Pers. Med. 2023年 – 2016~2021年の約3万件の院外心停止を解析した大規模研究では、全体の生存率5.7%に対し階数別では3階で4.9%と最低、16階以上で7.3%と最高という一見逆転したパターンが報告されましたwww.mdpi.com。もっとも差は小さく、階数と病院到着時間には弱い正の相関(階が1つ上がるごとに到着時間約0.5分延長)がある程度で、階そのものの影響は実務上さほど大きくないとも分析されていますwww.mdpi.com。著者らは「低層階データには商業施設等も含まれ、単純比較は難しい」と述べ、建物用途や年齢層など潜在的交絡因子の影響を指摘していますwww.mdpi.com。 こうした観察研究はいずれもコホート解析に基づき、高層階と生存率の関連を検証しています(倫理的に無作為化試験は不可能なため)。カナダや日本の研究は地域救急登録データを用いた大規模コホート研究pubmed.ncbi.nlm.nih.gov、シンガポールは多国間プロジェクト(PAROS)のデータによる前向き観察研究pubmed.ncbi.nlm.nih.gov、韓国からも全国の救急 registry を解析した後ろ向きコホート研究pubmed.ncbi.nlm.nih.govが発表されています。また系統的レビューも行われており、2021年のスコーピングレビューでは「高層階で発生した院外心停止はほぼ例外なく生存率およびROSC(自己心拍再開)率が低下する」と総括されていますwww.mdpi.comwww.mdpi.com。全体として、高層階居住は世界規模で心停止症例の救命率・予後を悪化させるリスク要因であることが、医学的視点から強く示唆されています。
高層建物における救急対応の遅延とその影響
高層階で生存率が低下する主因は、救急隊員が患者に接触し処置を開始するまでの時間遅延にあります。エビデンスによると、高層建物ではエレベーター移動や建物侵入に時間を要し、現場到着から患者のもとに辿り着くまでの「垂直搬送時間」が延びることが報告されていますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。例えばニューヨーク市での調査では、救急車到着から患者接触までの時間が1–2階では平均約2.8分、3–9階で3.1分、10階以上では3.3分とかかると報告されましたpmc.ncbi.nlm.nih.gov。わずかな差に見えますが、心停止の場合この数十秒の遅れが生死を分ける可能性があります。また多くの研究で、高層階ほど初期心電図に心室細動などショック適応となるリズム(shockable rhythm)が減少する傾向が示されていますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。これは到着の遅れにより心停止状態が進行し、除細動可能なリズムから心静止に至ってしまう割合が高いためと考えられます。
高層階へのアクセス障害も頻繁に発生します。トロントの研究では、高層住宅への救急出動の33.9%で建物への進入に何らかの障壁がありました****pmc.ncbi.nlm.nih.gov****。具体的には、入館に暗証コードが必要(全アクセス障害の67.6%)、館内案内表示の不足(82.6%)、ストレッチャーがエレベーターに入らない(67.9%)といった問題が挙げられていますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。さらにエレベーターの寄り道も時間ロスの一因で、エレベーターが他階に途中停止する事例が約18.6%で見られ、1回の停止につき平均54秒の遅延を招いたとの報告がありますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。こうした要因が積み重なり、高層階ほど現場処置開始までの時間が延長→蘇生率の低下につながるのです。
現場での処置遅延はその後の転帰にも影響します。救急隊到着の遅れが長いほど生存率や神経学的転帰が悪化することが統計的にも示されています。例えばバンクーバーなど複数地域のデータを解析した研究では、現場到着~患者接触までの遅延が長い症例ほど生存退院率および良好神経学的生存率が有意に低下しましたwww.mdpi.comwww.mdpi.com。韓国のChiらの研究では、高層建物内で発生した心停止症例は平地に比べROSC(現場~搬送中の心拍再開)率のオッズが0.40と約6割減少するとの解析結果もありますwww.mdpi.com。またパリ郊外の研究では、エレベーター未設置の老朽高層住宅が密集する社会的弱者地域で特に応答時間の遅延とROSC率低下が顕著と報告されておりwww.mdpi.com、都市計画・社会経済的要因も絡んだ課題であることが示唆されています。
さらに、高層階からの患者搬出(エクストリケーション)の困難さも見逃せません。エレベーター内や階段で搬送しながら心肺蘇生を続けるのは極めて難しく、実際に「エレベーター移動中は胸骨圧迫の質が低下する」との報告もありますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。この問題に対処するため、近年自動胸骨圧迫装置(機械式CPRデバイス)の活用が検討されています。マネキン実験では、狭所や搬送中に機械式CPRを使うと手動より圧迫の中断が少なく、質が安定するとの結果が出ており、高層階でのCPR継続に有用とする報告が複数ありますwww.mdpi.com。
高層階居住のリスクに対する対策と提言
こうした知見を受け、救急医療・都市計画の双方から対策が提言されています。医学的にはまず、一次救命処置(バイスタンダーCPRとAED)を高層住宅内で速やかに開始できる体制の整備が重要です。高層階で心停止が起きた場合、救急隊の到着遅延を補うためにも近隣住民による早期CPRの実施とAED使用が生存率向上の鍵になりますhealthmanagement.org。実際、トロントの研究でも生存者は非生存者に比べ目撃率や一般人によるCPR実施率が高い傾向があり、著者らは「高層住宅では隣人同士で救命処置を行えるよう住民教育すべき」と述べていますhealthmanagement.org。特に高層マンションの各階やエレベーター内へのAED設置は有望な対策で、心停止発生から電気ショックまでの時間短縮が期待されますhealthmanagement.org。
建築・設備面では、救急隊の建物アクセスを迅速化する工夫が提唱されています。具体的には、救急隊員が使えるマスターキーの配備(エレベーターを優先制御・起動できる鍵の付与)や、エレベーターを緊急時に待機させるシステム、そして警備員や管理人への迅速な通知といった対策がありますhealthmanagement.org。研究では「パラメディック用の共通エレベーターキー」や「専用直通エレベーター」の導入が提案されていますが、その効果検証はこれからとされていますpmc.ncbi.nlm.nih.gov。とはいえ現場からの患者搬出経路を確保・短縮する取り組みは、高層住宅地での救命率向上に不可欠でしょう。
最後に、社会医学・都市計画の視点からは、高齢者や慢性疾患患者が多く住む高層住宅での救急リスクを地域医療計画に織り込むべきとの指摘がありますhealthmanagement.org。人口の高層住宅集中に伴い心停止件数自体も増加する傾向が報告されておりhealthmanagement.org、救急インフラの整備や建物設計時の救急動線の考慮など包括的な対策が求められます。高層マンション内での**「いのちの格差」**を是正するために、上記のような多面的アプローチ(住民教育・AED配置、救急隊のアクセス改善、都市構造の工夫)を組み合わせることが重要です。各国の研究はいずれも「高層階居住者の救命率向上には時間との闘いに打ち克つ対策が不可欠」と結論付けており、今後さらに実証的な取り組みが進められることが期待されます。